近侍日記0
プロローグ
春の気配のする本丸に、出陣から刀剣男士たちが戻って来ていた。いつも通り無事な姿を確認できて自然と審神者はホッとため息をつく。少し気持ちに余裕が出てくると、彼らがいつもと少し違うことに気がついた。
初期刀の山姥切国広が前に出て、手に持っていたそれを持ち上げる。それは一目見ただけでわかる、どっしりとした誂えの刀だった。
「わ、ありがとう!ひょっとして太刀?」
この審神者、霊力に問題はないのだが、いかんせん鍛刀が下手くそであった。40分の表示が出る都度、鍛刀部屋で項垂れているのは、もはや見慣れた光景だった。
なので、ドロップしたのが太刀であれば、この本丸では初めての顕現となる。審神者はワクワクドキドキと速くなる鼓動を心地よく感じつつ、飾り紐も美しい鞘をそっと撫でた。
「じゃ、みんなの前でお迎えしようか!」
「待て大将」
短刀達と揃って行こうとするのを近侍の薬研が止めた。こちらも山姥切と同様に訝しむ表情を崩さないままだ。
「俺っち達が出陣したところを思い出してくれ」
新米審神者である彼女の白刃隊が出陣していた先は維新の記憶だ。世間で言う、太刀をドロップできるのはもっと先ではなかったか。
審神者はじっと手元の太刀を見直してみる。
「んー、いいんじゃない?」
黒光りする鞘からは危険を孕むような気配は感じられない。うん、大丈夫。審神者は薬研たちに向かってもう一度、声に出して大丈夫と伝えた。
「心配ありがとう。でも、こうして持って帰って来てくれたってことは、君たちだって問題なしと思ったからだよね」
その通りなので、皆は頷く。
「ならきっと安心だよ。じゃ、お風呂でさっぱりしてきてね。後で大広間に全員集合したとこでお迎えしてみるから」
自分の刀剣男士に寄せる全幅の信頼から大丈夫と言われれば、彼らの次の関心事は、一体誰か現れるのか、である。
我先にと本丸へと駆けていくのを見て、じゃオヤツの用意でもと審神者も厨へと足を向けた。
「…では」
審神者は両手で捧げ持ち、瞼を閉じて念じてみる。
今までと同じように、ここに来て、と。
もう何度目かになる光の洪水を浴びて咄嗟に目を瞑るが、瞼の上から分かった光の収束から、すぼめた目を少しずつ開けるとまず白い足が見えた。
え?毛の生えた足?
目は開いている。周辺を確認。ここはうちの大広間で間違いない。審神者はもう一度ぎゅっと目をつむり、今度はそろそろと目をあけた。
「は、…え?」
いたのは白い犬、それもドーベルマンサイズである。はっきり言って怖い。しかし、なんで犬?自分が喚んだのは刀剣男士ではなかったか。
「…なんだと?」
審神者の後ろで、自分と同じように惚けた山姥切の声が聞こえた。白い犬の後ろに立っている人を、審神者はそろそろ見上げて、今度こそ呼吸を止めた。
「えーと、どちら様でしょう…」
「あなかしこ…」
「え?かしこさん?」
わー変わった名前だ、後でこんのすけに詳しく聞かなくっちゃーと、何処か他人事のように審神者は考えた。人はそれを現実逃避という。
その人はちょっと困った顔をした。どちらかといえば守るように控えたでかい犬の頭を撫でながら、美しい黒髪をさらさら肩から流しながらお辞儀をする。すると、ふわりと優しい花の香りがその場に立ち上った。
「いえ、わたしは黒姫です。喚んだのはあなた様でしょうか」
美少女コンテストを軒並み制覇しそうな美貌の主が笑顔を浮かべてそこにいた。
「道祖神にお仕えしております黒姫にござります。こちらに控えていますのは雪城。どうぞよしなに」
近侍日記 ○月△日。
当番:五虎退
刀剣女士さん?が、うちにやって来ました。
なんだかドキドキします。ええと、こらからどうなっちゃうんでしょう?
審神者追記。めちゃくちゃ美人さんです。
「あれだよね、もう、笑うしかないよね」
「落ち着け大将」
「あ、あの、主君。お茶をどうぞ」
放心中の審神者をひとまず残して、山姥切が本丸内の案内のため黒姫と雪城を連れて行った。残された面々は大広間で緊急対策会議を開いている真っ最中で、審神者の両側には気付け薬として薬研が、介抱に秋田が付いている。頭数は多いが、いかんせん審神者がこんな状態なので、まったく打合せは進行していない。
「あるじさま、あのひとのこと、しらないんですか」
「…刀帳見たらやっぱり載ってない。政府からの通達も念のため確認したけど、なかった」
「あの犬さん、虎さん達と仲良くしてくれるのでしょうか…」
「縄張り意識ってあるのかな、あ!優先順位をつけて躾ければ大丈夫かも。いやいや、それだと私は底辺決定?うわ、考えただけて凹む」
審神者は心配して膝から見上げる今剣の頭を撫でながら、五虎退には引きつった笑顔を向けた。
「…大丈夫。ちゃんと噛んじゃいけないものは、分かってるよ」
向かい合わせに座る小夜に慰められた審神者は、ひとつ閃いたとばかり手を叩く。
「犬小屋ってやっぱりいると思う?」
いや、いらんだろ。
審神者に向けられた皆の視線が痛い。これはもう会議どころではないと諦めた薬研は、深い深いため息をつき、本日の業務終了のお知らせを皆に告げた。
「……取り敢えず、山姥切の旦那たちが戻って来るのを待とう」
反論するものは誰もいなかった。
「…以上で、ここの案内は終わりだ。何か分からないことはあるか」
本丸内を一通り案内しながら生活する上での大まかなルールを説明し終えたところで山姥切は立ち止まり、斜め後ろを振り返る。
突然顕われた刀剣女士をポカンと見上げるだけで使い物にならなかった主を薬研に預けて来たが、当人は本丸自体が珍しいのか、黒姫と名乗った娘は控え目といえ好奇心の塊のような視線でひとつひとつ確認していた。
「あの、ひとつよろしいですか」
見た目は五虎退や前田と同じなのに、どうにもこの娘は腰が低く、言葉遣いも大人びており外見年齢とちぐはぐな感じが拭えない。大体、なんで犬…いや、狼付きなのか。襤褸を口元に引き寄せながら、それでも山姥切は律儀に頷き話の続きを促した。幸か不幸か、あの審神者の面倒をみ始めてここで生活を送るうちに、兄スキルが着実に上がっているのだ。薬研ニキ?それは別枠です。
「あちらの山は、自由に入っても主様(あるじさま)に怒られたりしませんか?」
「山…裏山か?」
黒姫は側に控えたでかい犬の頭を撫でながら、この問いに元気いっぱいに応えた。
「はい!私は山育ちなのですが、やはり主様の許可を頂きませんと」
失礼でしょうし。照れながらそう呟く黒姫のつむじを山姥切はじっと見下ろす。山育ち。そのいでたちでか。刀剣男士達と同様、籠手や肩当を付けているとはいえ、すらっと伸びた脚は白く美しい。桜色をした指先は、とてもじゃないが太刀を持つ手に見えない。むしろ季節の可憐な花々が似合うと思われた。
山姥切は、まじまじと頭のてっぺんからつま先まで黒姫を観察し直した。そこでふと犬と目が合った。気が付けば、自分とよく似た色をした瞳だ。そうして、何故か、こちらの方が保護者で、こいつが付いていれば大丈夫なのだろうと直感した。
「…俺から言っておく。ただし、入る前には必ず本丸の誰かに伝えてからにしろ」
ぱあっと笑顔を浮かべた黒姫に、ありがとうございます!と抱きつかれる頃になって、ようやく山姥切は新入りが少女であることを認識した。
やましい気持ちがなかったにせよ、気がつけば慌てざるを得ない。ぶわっと顔を赤らめ動揺したところ、勢い余ってがん!と、不幸にも縁側の柱に後頭部を強打してしまった。そうして軽傷を負った山姥切を、これまた慌てた黒姫が肩に担ごうとしてそのままべしゃりと撃沈し、雪城に引っ張り出されているところを、駆けつけた他の者に見つかる珍事に発展した。
手入れ部屋に運ばれた山姥切の心は、重症を負っていた。
了
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