近侍日記3
『希望の春いろ』
「黒姫。雪城は連れて行けないよ」
「どうしてですか?」
「今日は演練だからね、行くのは刀剣と審神者だけ。ほら、五虎退の虎さんもお留守番でしょ」
審神者の言葉が分かるのか、廊下でニャーゴと応えてくる。それでも黒姫は諾かない。可愛らしく首を傾げて不思議そうな眼差しを向けてくる。ちなみに今日の雪城は狼サイズ。うん、間違いなく政府の人に止められるわ。審神者は頭を抱えた。
「主様、今日は武者修練でも実戦型なんですよね?」
「うん。だからね」
「でしたら雪城が必要です。私は雪城と共に戦うので」
「…はい?」
「お任せください」
あ、とか、う、とか審神者の呟きが聞こえるが、今さら参加しない訳にいかない。鍛錬で黒姫と国広がやり合うのを見せてもらった時には、雪城は例の仔犬の姿で寝ているだけだった。では、出陣する時はまた違うということになる。審神者は唸った。
「主君」
「…いいの?」
「あ、あるじ様…」
「大将?」
「あるじさま、いかないんですかー?」
秋田、小夜、五虎退、薬研に今剣がやんわり促すなか、国広だけは違い、まるで容赦がなかった。
「政府の方から演練に出せと言ってるんだ。説明責任はアンタにある。何とかしろ」
うちの近侍はホント主に厳しいなあと嘆いたところで始まらない。
「分かったよ…」
実際どうしようもなかったので、審神者は参加メンバーに出発を促した。
「がんばってきーてくーださーいねー!」
演練に出られる刀剣は六振りだから、今剣は今回はお留守番である。メンバーは初期刀で近侍の山姥切国広、初鍛刀の秋田藤四郎、小夜左文字、五虎退、薬研藤四郎と黒姫だ。で、あとは雪城。審神者は単なる引率である。
「お留守番お願いします。行ってきます」
審神者はそう言って、霊的な力場が作り出すゲートを最後にくぐった。
ゲートを越えた先は、演練会場に繋がっている。もともと本丸はそれぞれが独立した空間にいて、現代ではそれらを天(そら)と呼ぶ。
古くより「そら」は天と地との間の虚空をさし、神々の住む天上界を「あめ(天)」といったが、審神者たちの暮らす本丸は、科学力と特別な術式で虚空に存在している。
本丸は、そらにあり、
神々は、あめにある。
審神者には告げていないが、黒姫は天(あめ)にいた。本来ならドロップしない時代での太刀は、いくつかの偶然が折り重なって、この本丸に来ていた。
「おや、いらっしゃい」
神祇官がにこやかに審神者たちを出迎えた。
童顔の彼は審神者界でも有名で、年齢不詳、家族構成不明、背景に大物政治家でもいるのでは?などなど、噂は尽きない人だった。そんなブラックな噂を持つような人には思えないのだが、先輩諸氏が揃って恐れているので、火の無い所に煙は立たないとも言うし、気をつけようとは思っている審神者だった。
「こんにちは、今日はお世話になります」
「うん。まずは受付を済ませてきてね。やあ、君が黒姫かな?」
「はい。初めまして」
「これはご丁寧に、どうもありがとう。ふうん?」
神祇官は面白そうに黒姫と雪城を見ている。やがて、雪城の前にやってくると、黒姫に触っていいか尋ねた。許可をもらい、雪城の顔に手を近づけて、そっと頭を撫でてみる。そこにある存在感に、少し驚いたようだった。
「…あれ」
「どうかなさいましたか?」
「うん。僕はてっきり霊体だけかなって思ったんだけど、実体があって驚いているとこ」
くしゃっと笑みを浮かべて審神者に答える神祇官は、何故か白狼の雪城を咎めたりはしなかった。
「君たちの戦いぶりがどんなものか、楽しみにしているよ」
黒姫たちにそう言い残して、ぷらぷらと手を振りながら去って行ってしまった。雪城のことといい、やっぱり変わった人だなと審神者が思っていたら、黒姫がポツリと呟いた。
「あの人は強い(こわい)ですね」
審神者にとって、神祇官はますます謎が深まったのだった。
「私たちの会場は、"る"の十八だね」
演練は、登録グループごとに行われる。審神者はまだまだ新人なので勝率は決して高くないが、陣形を読み、刀剣たちの構成をよく考えて臨んでいるので、着実に練度を上げていた。
「大将、あっちだ」
「本当だ。みんな、付いてきて」
対戦相手は終了するまで伏せられている。演練で戦う条件は同じだが、ランダムで組まれる相手の練度は参加するまで分からない。初戦の相手は打刀を中心とした構成で、こちらよりレベルが高いようだった。
「うちの主力は短刀たちだから、機動力で攻めるよ。作戦は短刀2に打刀と太刀がそれぞれ付く。残りは陽動ね。後は各自の判断でお願い。黒姫はこれが初参戦だから無理はしないこと。何か質問は?」
「ない」
国広が頷けば、他の短刀も黙って審神者の説明を受け入れたようだ。
「主様」
「なに?黒姫」
「頑張って参りますね」
「……はい。私はここでみんなを観てるよ」
「おう」
「…行ってくる」
「待ってて」
「行って参ります!」
「い、行って来ます…っ」
薬研、国広、小夜、秋田、五虎退が黒姫に続き、演練場へと入って行った。特殊な磁場でできたそこは、外気を遮断し音と衝撃を完全に封印することができるのだ。
「…雪城主税」
ずっと黙って付いてきた雪城が、すいっと黒姫にまとわりつく。その姿が鞘に吸い込まれるように消えた時、黒姫が敵方に向かって名乗りを上げた。
「大刀、雪月花黒姫。参ります」
国広たちが目を見張るほど、黒姫の強さは圧倒的だった。
雪城は元は荒御魂だった。今では神の大刀、雪月花黒姫の鞘となり、穢れが憑くことのないよう護る役目を負っている。
黒姫は、実はドロップで拾われた刀ではない。異なる次元から落ちてきた古刀の大刀であった。
審神者によって顕現された時、真の名を告げなかったのではない。その音が他の者に聞こえなかっただけだ。しかし、演練場は特殊な磁場で覆われていたので、周りにいた国広たちが初めて聞き取ることができたのだった。
「っ大太刀、だと!?」
鍛錬でやり合ったこともある国広が、珍しく声を荒げた。思い出されるのは太刀を正眼に構えた黒姫だが、今、眼前にあるのは相手の気を自らの懐に抱き込んだ、大太刀を振るう黒姫だった。太刀と大太刀とでは間合いの取り方が違う筈なのに、あのとき見た黒姫の構えは、太刀そのものだった。それがどうだ、今は人が変わったように大太刀を振るっている。
「山姥切の旦那!掃討戦だっ」
薬研の声にハッとして、黒姫が討ち漏らした敵方の加州清光を迎え撃つ。一合、二号と斬り結ぶと自身は無傷で地に沈めた。国広は息を深く吐いた。部隊長の自分が、戦況を見誤ることなどあってはならないことだった。
「怪我は、ないか」
「ああ。秋田、五虎退に小夜もじき合流する…しかし、まあ派手にやったな」
もちろん、敵陣奥深くまで一人攻め込んだ黒姫のことだ。
「正直言って、今日はもう連戦したくねえなぁ」
「…ああ」
国広は薬研に心から賛同した。
これは、とても面倒なことになる。ここでの戦闘記録は、政府が歓喜して分析に回すだろう。だが、自分たちがこれ以上、政府に貢献してやる義理はない筈だった。
「お姫(ひい)さんだ」
向こうから、大太刀を鞘へ納めることなく黒姫が戻ってくるのが見える。抜き身のそれは、とても黒々としていて、その大きさもあって畏怖の念を与えるのに充分な迫力を備えていた。
普段は可愛らしく見える、白を基調とした、まるでカブスカウトの子供が着るような戦闘服が、今となってはとれも凛々しく見えるから不思議だったり
「お怪我はありませんか」
戦闘後の高揚した空気を感じさせる、紅潮した頬がとてもミスマッチだった。
「おかげさんで無事さ。ほら、あいつらも怪我はしてない」
「あ、薬研!」
「…無事?」
「ぼ、僕もっ頑張りました!」
「お疲れ。こっちも問題ない。さ、山姥切の旦那」
「第一部隊、帰投する」
「「「「はいっ」」」」
いつの間にか雪城がそばに控えていた。黒姫の本体も太刀の大きさで鞘に戻っている。どういった造りか不明だが、こうなると先程までの戦闘が幻だったように感じる。
国広は黙って首を振った。
どうせ誰にだって分からないのだ。自分があれこれ考えたところでわかる筈がない。とにかく今日は疲れた。薬研が言うように、連戦せず帰るよう審神者に進言しようと、国広は歩き出した。
近侍日記 ◎月△日
当番: 薬研藤四郎
まあ色々あったんだが、餅は餅屋だと言うしな。俺っちたちがどうこう言えるもんでもないだろ。
これからは、陣形だけじゃなく戦術も練直しだな、大将。
「ちょ、ちょっとお!観たわよナニ何なの、あんたんとこの刀剣は!」
今回の対戦相手は、定例会で顔を何度か見たことのある年上の女性審神者だった。顔が大変なことになっている。小じわにファンデ詰まってますよと言うべきか。取りあえず審神者は挨拶だけはしておくことにする。序列は大事なのだ。
「お疲れ様です」
「はい、お疲れー…って、普通に流すところだったわよ。そうじゃなくて!お願い。あの刀剣について教えて頂戴」
「ええー…」
いや、教えてもらう気でこっちも来たんですけど?
そう言いたい気持ちを飲み込んで、彼女はこちらへ戻って来る自分の刀剣たちを見た。誉桜を舞わせているのは、当然黒姫だった。そう、初戦でなんと勝ち星を挙げたのだ。
「あ、お帰り!お疲れ様」
「やあ、お疲れ様」
気配を感じさせることなく割って入ってきたのは、例の神祇官だった。ぴしりと対戦相手が固まったところから、どうやら彼にまつわる噂は広範囲に拡散していると審神者は理解する。彼は手を挙げてこちらへ近付いてくるところだった。
「ああ、そこの君には申し訳ないけど、僕に彼女の相手を譲って欲しいんだ。いいよね?」
何ですか、そのたらしのセリフ。
しらける審神者とは対象的に、対戦相手の審神者はぶんぶんと首を縦に振ると、自分の刀剣男士たちを労うため足早にその場を立ち去って行った。先ほど黒姫が「強い」と評した以上気を抜くわけに行かない審神者は、警戒心を強める。そんな審神者を見て、神祇官は苦笑したようだった。
「うーん、そんなに固くならなくていいと思うよ。取り敢えず、君たち。甘いものは好きかい?」
「はい?」
「甘味。疲れた後のスイーツって最高だと思うから、そのお誘い。勿論奢るよ」
「…そんな、悪いです。していただく理由もありません」
審神者の後ろには、主を護るように彼女の刀剣たちが並んでいる。その中で神祇官をまっすぐ見つめる瞳が一番強いのは黒姫だった。そこには警戒心も威嚇するような気配もない。相手に読ませる隙がないのだ。
神祇官はやれやれと肩を竦めた。
「やめた。どうやら誘う間が悪かったようだからね」
「…え」
「連戦せずに帰城するんでしょう。とても残念だけど、またにするよ。あ、今日の分析は一週間はかかるから、頼みたいことができたらこんのすけを飛ばすよ」
「はあ」
こんのすけって飛べたっけ?
ちょっと想像してしまった審神者だった。
神祇官が去ると、思いの外緊張していたのか、審神者の口からため息が漏れる。ここで初めて彼女の近侍が声を掛けた。
「おい、戻るぞ」
まるで呪縛が解けたように、審神者は飛び跳ねた。
「あ、うん。それじゃちょっと早いけど帰ろうか。でも戻る前にショップに寄り道ね。外出の醍醐味、買い食いだよ!」
やった!
きゃいきゃい言いながら駆けていく短刀たちに「若いから元気だなあ」などと言いつつ審神者も続く。
「黒姫は特別に、好きなもの選んでね。誉れ桜とったからプレゼントです」
「ぷれぜんと?」
「褒賞のことさ。ウチじゃ演練に出ることはまだそうないからな。俺っちも大将に買ってもらったぜ?着いたら教えてやるよ」
「…俺もある」
「ご参考までに伺いますが、しょっぷとは、万屋とは違うのですか?」
「あ、参加は今回が初めてだもんね。ごめん。万屋が私たち本丸の住人向けだとすると、今から行くショップは主に政府の人向け。だから、現代仕様の珍しいものが多いよ」
「珍しい…」
「えーと、生活雑貨より嗜好品や職場向けが多いかな」
「……」
「行けばわかるさ」
「そうそう、行けば分かるよ」
「おい、雪城は入れないだろう」
国広のごもっともな指摘に、審神者と薬研が振り返る。顔には「忘れていた」と書いてある。
「え?」
首を傾げる黒姫と雪城を三人三様で見つめる。確かに、ペット同伴で入れる店舗は少ない。食べ物を扱う所は殆どがアウトなのが現状だった。
「あ、でも!ほら、小型化すれば」
柴わんこになれば、抱っこや買い物キャリーでいけるのではないか。そんな審神者の提案に、彼女の近侍から冷静に突っ込みが入った。
「ショップにキャリーはなかった筈だ」
「う、ソウデスネ…」
「悪いな、そんな訳だから、雪城は」
「私は雪城と一緒に行きたいです!」
黒姫がそう叫ぶと、先ほどのように雪城の姿が掻き消えたかと思うと、黒姫の太刀が大太刀サイズへと変化した。
審神者たちが口をあんぐりと開けて固まっていると、先行組たちがたたっと駆け戻ってくるのが見えた。
「主君!朗報です、いちごフェアが始まってます!」
「あのあのっ、ベリーの盛り合わせが、すごくいいですっ」
「苺ミルクムース、苺ティラミス、苺コルネなんてのもあったよ…」
「…ああ、わかった。大将。これなら確かに入れるよな?」
「あー確かに。うん。ここでは銃刀法違反にはならないからね」
審神者の切り替えは早かった。
「よおし、今日は奮発しちゃうよ!」
国広も、もう何も言わなかった。
皆の手にひとつずつ、思い思いの苺スイーツを持って、本丸への帰還を果たした。
誉れ桜を舞わせた黒姫の手には、もちろん二つ握られていたのだった。
春いろとは、誉れの桜。
<了>
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