近侍日記2
犬は人につく、ねこは家につく
近侍日記 ◯月◯日
当番:小夜
世の中には不思議なことが沢山あるんだって、知ったよ。
小夜が足音もなく廊下を渡っていく。行き先はこの本丸の主、審神者の部屋だ。今日の当番は小夜だから、朝食後の決められた時間になると、こうして部屋に出向く。
季節は春。審神者としてまだまだ初心者の彼女の本丸では、景趣に変化はない。小夜はそれを不満に感じたことはないし、まだ多くの戦場を知らないけれど、行く先によって年代も、季節だって違うのだから、今はこれでいいと思っている。
「…なに」
視界の先、審神者の部屋の前に何やら茶色い塊がいる。小夜が近づくと、コロンとした尻尾を持つ柴犬が何故か廊下で障子を背にして座っていた。
まだ仔犬の姿をしたそれは、小夜に気がつくと、パタパタ尻尾を振ってきた。小夜は、この気配に覚えがあった。
「雪城…?」
わん。
肯定する明快な答えが返される。元より物静かな小夜と、話して伝える手段を持たない雪城は、しばし黙って見つめ合っていた。
「あ、小夜。お疲れ様ー」
朝は強い方の審神者は、時間どおり現れた小夜を労った。室内には小夜が思ったとおり先客として黒姫がいた。黒姫とは朝食時に会ったばかりだが、ぺこり挨拶されて、応えるように小夜も軽く頷き返した。
「今日のお仕事は、この本丸での生活を黒姫に教えてあげて欲しいの」
プリントアウトした紙をいくつか手にして審神者がテーブルに向かってくる。なかなか部屋に入ろうとしない小夜に、どうしたの?と入り口まで戻って廊下の柴の仔犬を見つけると、納得したように苦笑した。
「ビックリだよね、いきなりのミニサイズだもん」
「みに…?」
「小さいってこと。この方が省エネ…霊力の消費が少ないんだって入っておいでって言ったのに、ここにいたいんだって。
小夜は審神者と黒姫を交互に見やって、そろり雪城の体に触れた。ダブルコートの毛並みがちくりと小夜の指先にあたる。狼の時とかけ離れた姿に、小夜はとても不思議な気持ちになった。
「…おいでよ」
雪城は首をわずかに傾げると、その場から立ち上がり黒姫の元へと移動した。雪城が小夜の言うことを聞いたことに驚きを隠せない様子で審神者も席に着く。
「雪城は私が嫌いですかー…」
しくしくしく。
彼女も雪城に中に入るよう勧めたのだが、その時は聞いてもらえなかったのだ。つまり、審神者は拗ねているのだ。
「主様。雪城はね、遠慮していたんですよ」
うふふと黒姫が柔らかく笑う。年齢不詳のそれは、存在している歳月の長さを思わせる。短刀たちにも似た背格好をしていても、彼女もまた太刀を振るう刀剣女士なのだ。
「遠慮?」
「そうです。主様と私なら女性だけになりますから、同じ部屋にいるのを遠慮してくれたんです。廊下にいたのは、見張りも兼ねて、でしょうか」
「ゆきしろぉ!」
黒姫の言葉に感動した審神者はすくっと立ち上がると、取り寄せたばかりとビーフジャーキーを取り出しに行った。
ーーーそうか、僕が来たから。
小夜が入れば、二対二となり問題ないというわけだ。少し、本当にちょっぴりだけど寂しいと思うのは何故だろう。小夜は自分の小さな手を開いてじっと見つめた。
視線を感じて小夜が顔を上げれば、雪城と目が合った。
ピンとした三角の耳、仔犬特有の愛らしい目元、こんがり色の毛並み、くるり丸まった小ぶりの尻尾。全部がぜんぶ可愛い生き物が、小夜に向かって尻尾を振っていた。
そう、まるで「お前と俺とで守れば万全さ」なんて言っているような、どこかの兄貴を彷彿させる強い眼差しだった。
「雪城は、小夜が気に入りましたか?」
審神者が与えたビーフジャーキーをペロリと平らげた雪城は、黒姫の問いには答えず、小夜の近くまでトテトテ歩いて行く。どうも雪城はかなり自由なようだ。
「…?」
黒姫と向かい合って座っていた小夜の頬に、生暖かいものが触れていき、やがて離れていく。これには流石の小夜も思わず固まった。
「あ」
「あーっ!」
雪城が舐めていった頬を、小夜はそっと触れた。暖かい。自分の手よりも、ずっと温かい。
小夜と雪城は、仲良しレベルが上がったようです。
「へえ、そいつはすごいな」
「ね、すごいよねえ小夜って。だって猛獣使いだよ!」
「俺っちが褒めたのは雪城についてなんだが…まあ、いいか。大将、仕事はちゃんとしてくれよ」
「しました」
ついこの間まで大学生をしていた彼女にとって、レポート作成はお手の物だ。薬研に揶揄されたのは、政府に報告するためまとめていた黒姫のデータだ。今日は、遠征だけにして、黒姫のために審神者は半日を費やしていた。
「まだうちには人出が少ないから、内番で鍛錬するのにも限度があるでしょう。明日にでも演練に出ようかなって思うんだ」
黒姫は、まだ戦場を知らない。
取り込んだ洗濯物をたたんでいた薬研の手が止まった。
「意外だな。大将自ら見世物になりに行くのか」
責めてはいないが、確認のために聞き返す。
「ウチの子を自慢したいだけ、ってのは冗談だけどさ。やっぱりね、私がどうしたらいいのか分からないから、かな」
黒姫の内番用ジャージをたたみながら、審神者はため息をついた。
「まだ他に太刀がいないのもあるけど、先輩たちに色々話を聞けたらいいなって思ってる。だからね、明日はよろしく頼みます」
経験不足の新米審神者であることを誰よりもわかっているからこそ、今できる最善を。
戦場に送り出すからには、対策は万全を期して。
「…分かった。そうと決まれば、今夜の夕飯はしっかり食べてもらわなきゃな」
男気のある力強い眼差しと笑みに、励まされた形となった審神者が照れ隠しに呟いた。
「……やっぱり雪城と薬研は似てる」
「はァ?」
余談ですが、彼女はどちらかと言えば猫派です。
その日の晩に出された豚の角煮は、大変美味しゅうございました。
<了>
0コメント